yojitaurog’s blog

自作小説を掲載しています。

奈緒人と奈緒 第3部第4話

そういうわけで、感情が充足したため安定した家庭生活を送ることができた麻季だけど、奈緒の名前について悩むことはいまだにあった。 博人が奈緒と呼ぶ声。奈緒人が奈緒と呼びかける声。そして何よりも、自分が奈緒に呼びかける際に感じる逡巡に彼女はしばし…

奈緒人と奈緒 第3部第3話

確かに博人は麻季のことを大切に考えているようで、それから彼は麻季を抱けないことをずっと耐えているようだった。 彼はその夜から全く麻季に手を出そうとしなくなった。 博人には思いも寄らないことだろうけど、耐えていたのは麻季も同じだった。麻季の場…

奈緒人と奈緒 第3部第2話

博人と結婚して奈緒人が生まれ、麻季は幸せだった。 もうあまり心の中の声が勝手に彼女に指示することもなくなっていて、生まれてはじめて彼女は、平凡だけど安定した生活を送るようになった。 もう二度とあの声が聞こえることはないだろうと彼女は思った。 …

奈緒人と奈緒 第3部第1話

奈緒は怜菜にそっくりだ。 友人のいない学生時代を、唯一といっていい親友の怜菜と過ごした麻季にはそう思えた。 別に外見だけじゃない。まだ幼いのに他人に対する態度がすごくソフトなところや、人の気持を優先して自分を抑えるところは、まるで人のいい玲…

奈緒人と奈緒 第2部第6話

その日はすごく暑い日だったけど、家庭裁判所の隣にある公園には樹木が高く枝を張り、繁茂している緑に日差しが和らげられていた。 申し訳程度にエアコンが働いている家裁の古びた建物の中より、よほど快適だったかもしれない。 僕は唯に弁護士から聞かされ…

奈緒人と奈緒 第2部第5話

翌日は平日で、お互いに仕事があった。 僕は二日連続で同じ服装でも別に気にならなかった。もともとそういう業界だったから。でも理恵はそうもいかないと言った。 校了間際でもないのに、同じ服で出社したら何と噂されるかわからないそうだ。 それで僕たちは…

奈緒人と奈緒 第2部第4話

取材を終えていないため、日本に滞在できるのは三日間が限度だった。 帰国便の機内で、僕は一月前に業務連絡で二日間だけ帰国したときのことを思い出した。 あのとき編集部に寄って用を済ませてから帰宅した僕に、麻季は抱きつこうとしたけれど、その麻季を…

奈緒人と奈緒 第2部第3話

怜菜が交通事故で亡くなる前、僕は怜菜からメールを受け取った。 怜菜が鈴木先輩と離婚してから半年近い月日が経過した頃だった。 それは職場のPCのメーラーに届いていた。 口には出さなかったけど、鈴木先輩と麻季と同じことをすることが気になって、僕は怜…

奈緒人と奈緒 第2部第2話

奈緒人への愛情から麻季の浮気を許した僕だったけど、麻季の改悛の情を無条件で信じたわけではなかった。 正直に言えば、彼女の僕に対する愛情への疑いは残っていた。あのときの麻季の言葉を何度脳内で再生したかわからない。 「鈴木先輩のこと、たとえ一瞬…

奈緒人と奈緒 第2部第1話

僕が初めて彼女に出会ったのは、大学のサークルの新歓コンパの席上だった。 その年、サークルに入会した新入生たちは男も女もどちらも子どもっぽい感じがした。多分一年生のときは僕も同じように見えたのだろうけど。 その中で、彼女だけはひどく大人びてい…

奈緒人と奈緒 第1部第13話

翌日も僕は大学を休んだ。 僕のことをからかったり、叔母さんの父さんへの恋心を語ったりしている明日香は、もうあまり思いつめていないように見えた。 でも、僕がトイレに行ったり食事の支度をしたりして、リビングのソファに寝ている明日香のところに戻る…

奈緒人と奈緒 第1部第12話

「明日香、明日退院だって」 連れ立って病院から出たところで、叔母さんが言った。 「そんなに早く退院できるの」 「治療は終わってるからね。退院後は自宅療養になるみたい」 「そうなんだ」 「結城さんと姉さんから頼まれたんで、明日はあたしが明日香を迎…

奈緒人と奈緒 第1部第11話

やがて少し落ち着いた僕たちは、いつものように駅に向かって歩き出した。 僕は、今日は大学には行かないつもりだったのだけど、なんとなく奈緒と一緒に駅から電車に乗り込んだ。 時間的にはもう奈緒は遅刻だったけど、彼女は僕の腕につかまって、僕の方を見…

奈緒人と奈緒 第1部第10話

今日は僕にとってはとても長い一日になってしまった。 さっき渋沢と志村さんに、明日香と手をつないでいるところ不思議そうに見られて、戸惑いを感じたことが、随分昔のことのように思えてくる。 明日香は、叔母さんと別れて集談社のビルから出た途端、どう…

奈緒人と奈緒 第1部第9話

冬休が終った最初の登校日の朝、僕はいつもよりだいぶ早い時間に起きて、普段より一時間以上早い電車に乗った。 自分も近所の公立高校に登校しなければならない明日香は、僕を大学の途中まで送っていくと言い張った。それから登校しても自分の授業に間に合う…

奈緒人と奈緒 第1部第8話

「お兄ちゃん、おせち買えた?」 夜になってどこからか帰宅した明日香は、僕に会うとまずそれを聞いてきた。 「買えてない」 「え~、ちゃんとメモ書いたのに。お兄ちゃんは信用できないから、明日香にも一緒に行ってもらったのに」 「・・・・・・予約もなしにこ…

奈緒人と奈緒 第1部第7話

翌日、僕は妹に起こされた。時計を見るともう十時近い。 「お兄ちゃん起きてよ。買物に一緒に行ってくれるって約束したじゃん」 僕は眠気を振り払ってベッドに起き上がった。 え? 「あのさ」 「どしたの?」 「どしたのって・・・・・・」 「ああ」 明日香は同じ…

奈緒人と奈緒 第1部第6話

その晩僕が帰宅すると、珍しく玲子叔母さんがリビングのソファに座って、妹とお喋りしていた。 「叔母さん、お久しぶりです」 どうしてこの時間に叔母さんがいるのかわからなかったけど、僕はとりえず叔母さんにあいさつした。叔母さんは今の母さんの妹だ。 …

奈緒人と奈緒 第1部第5話

それから二週間くらい経った土曜日の午後、僕は奈緒のピアノ教室の前で彼女を待っていた。 それはクリスマス明けの二十六日のことだった。クリスマスには陰鬱な曇り空だった天気は、今になってちらほらと降る雪に変わっていた。 臆病な僕は、付き合いだした…

奈緒人と奈緒 第1部第4話

「おはようございます。奈緒人さん」 奈緒はいつもの場所で僕を待っていてくれた。今日は彼女より早く来たつもりだったのだけど、結局奈緒に先を越されてしまった。 「おはよう、奈緒ちゃん。待たせてごめん」 「いえ。わたしが早く来すぎちゃったから。まだ…

奈緒人と奈緒 第1部第3話

それから、僕とナオは並んで駅の方に向かって歩き出した。歩き出してからもナオは僕の手を離そうとしなかった。 妹が昨日酔ってたせいで僕は辛い思いをしたのだけれど、結果的に考えると、そのおかげで大切な告白の時間を妹に邪魔されずに済んだのだ。あの酔…

奈緒人と奈緒 第1部第2話

その時、僕は誰かに腕を強く掴まれ、後ろに引き戻された。 「こんなところで何してるの?」 僕の腕にいきなり抱きつき、甘ったるい声で上目遣いに話しかけてきたのは、私服姿の妹だった。 その派手でケバい姿は、ナオと同じ高校二年生だとは思えない。突然僕…

奈緒人と奈緒 第1部第1話

僕はその日の朝、普段より早く起き過ぎってしまったのだった。 母さんを起こしたくない。ベッドを出た僕は反射的にそう思って、音を立てないよう爪先立って、僕と妹の部屋が並んでいる二階の廊下を通って階下に降りようとした。 この時の僕は熱いコーヒーを…